※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 二次創作のモブ霊を好んで読んでいるので、モブ霊目線での感想が多いです。他のCP推しの人は読まないことをお勧めします。
※ 原作師弟の関係は、あくまで「師弟愛」であり、「恋愛」ではないという大前提です(そういうジャンルの漫画ではないので)。
超能力と食べものについての一考察
①湯呑み こぼさず壊さない為に
②たこ焼き 冷まして食べさせる為に
③ケーキ ぶつけて食べさせない
小学5年生のモブ君は、自分の超能力で他者を傷つけることを畏れていた。
こぼれないようにする=自分の感情が溢れて爆発するのを恐れていたのかもしれない。
中2のモブ君は、超能力を利用して感謝されることに喜んでいた。
たこ焼きを冷ましているのは感情抑制とも言える。
中3のモブ君は、他者に自分の感情をぶつけることを恐れなくなったのかもしれない。自らの負の感情も自分のものと受け入れて、感情を出すことを躊躇わなくなった。
湯呑みはモ君の心の感情の容れ物の暗喩だったのかもしれない。
彼は容れ物が壊れない様に、感情を溢れさせない様に、必死だった。
100話で湯呑みがひび割れたのは、まさに容れ物が壊れて、超能力が暴走する兆しだった。
そしてそれを見ているのが師匠だった。モブ君は師匠に助けを求めていたのかもしれない。
師匠が「すまない」と言って罪悪感を感じたのは、彼は最初にモブ君が救いを求めてきた時からずっとモブ君を近くで見てきたのに、その悩みの本質を知らなかったことにあるのだろう。
師匠は超能力者ではない。だから、悩みの本質については理解することが難しい。「超能力を人に向けるな」ということは言えても、根本的な救済を示してやることができなかった。
だからこそ彼は「すまない」と言ったのだろう。
湯呑みの中のお茶も、たこ焼きも熱いが、ケーキは冷たい。
モブ君の中にあった激情は、抑えつけることで圧がかかり、却って沸騰していたが、最終的にコントロールできるようになり、クールダウンしたということかもしれない。
ケーキを食べさせないでぶつけた中3の彼は、超能力を「利用される」為のものとしては使わなくなったということなのだろう。
自分の意思と責任で使うことにしたのだと思う。
師匠に依存したり、責任転嫁したりもしない。
お茶→たこ焼き→ケーキと
段々賑やかになっていく。
モブ君の感情表現が豊かになっていく過程と重なるようにも思う。
ケーキトス(第101話)
モブ君が師匠の顔面にケーキをぶつけたのは、結構衝撃だった。そういうことをしなさそうな子だったのに、超能力でそういった悪ふざけもできるようになったということでもある。
折角用意したケーキなのに勿体ないと思いつつも、あれは湯呑みとたこ焼きのダブルの再演でもある。つまり師弟の原点回帰なのだ。
最初から最後まで師弟愛の物語だったな(と自分は読んでしまう)深読みすれば、
① 正面からぶつける=レに対して遠慮なく正面から感情をぶつけることができるようになった
=歪みのない等身大で向かい合う関係性の成就
ということかもしれない。
勿論14歳も違うので、対等とはまた違うのかもしれないが、それぞれ身の丈に合った関係になったのだろう。
あるいは
② 師匠の泣き顔を見ていいのは自分だけということかもしれない。
さらに言えば
③ 生クリームなどでべたべたになった、ちょっと情けない顔を見てみたかったのかもしれない。
師匠は、仕事中で、しかも客商売なのに、ちょっとかわいそうでもある。ケーキトスは、「師匠のため」ではなく、モ君が「自分のため」にやったのだろう。
レは「友達」ではなく、「師匠」だ。年長者。14歳も年上の。ゼロ能力で嘘をついて、利用してきたといい、100話で師弟関係を解消しようとしたけれども未だにモ君は「師匠」呼びをしているわけで。世間一般の常識に当てはめれば、本来、「師匠」は「弟子」がケーキトスする対象ではないはずだ。世間一般の常識を飛び越えるところに、このモ君には、異質なものを感じる。
???を統合したモ君はやっぱり「良い子」なだけじゃない。独占欲と支配欲、欲望に忠実なのかもしれない。
14歳も年上の、かつて「お兄さん」と呼び、今は「師匠」と呼ぶその人に、子ども扱いはやめて成長を認めてほしがって、自分と同じところまで引きずりおろして、好き放題したいということ。この子、今後、レをどうするつもりなんだろう、ホント。