2021年7月7日水曜日

モ君=主人公=ラスボス

※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。

※ 一個人の感想・考察です。

※ 原作師弟の関係は、あくまで「師弟愛」であり、「恋愛」ではないという大前提です(そういうジャンルの漫画ではないので)。


主人公顔

 モ君が涙を流す一コマは主人公顔だ。

 モ君は本編の99%はモブキャラな顔していたのに、ふられて涙を流す時に少年漫画の主人公らしい顔をしたことの意味について、何とも考えてしまう。

 彼が主人公顔を見せたのは、もう一人の「僕」と統合して100%になった時ではない。ツに想いを告げて振られて、レとエのところに戻って来て涙を流した時なのだ。そして、モ君が流した涙は、(皆を傷つけたことに対してではなく)自分がふられたことを受けてのものだ。モ君は、あの時、自分のことしか考えていなかった(非難する趣旨ではない)。

 あの瞬間のモ君は、利己的で、我が儘で、自分勝手。

 感情を押し殺して生きていた彼は彼の人生のモブキャラだった。まさに、モ君はこの時、真実、「自分の人生の主役」になったのだろう。

 つまり、本作品は、「自己犠牲」を決して至高のものとはとらえていないということだと思う。師弟はお互いにおいて犠牲的で、利用し合っていたけれど、それは最終的に転覆されるべきものだった。最終目標は、抑圧された個人の解放であり、「自己実現」なのだろう。

 自己犠牲がとかく尊ばれがちな社会において抑圧された個人の解放と自己実現をうたうもの。MPにおいて内在する価値観の一つ。本作では、都合の良い女の子もいない。ツがいわゆるトロフィーワイフにならなかったことが如実に語る。皆自分の人生の主人公として生きている。


 本編では、ツへの告白がモ君の人生の一大プロジェクトだった。その過程で、自己受容もできて、自分の人生の主役になった。だから、「これから」。

 第101話に片鱗が描かれているが、彼は表情も豊かになり、おそらく感情も素直に出せるようになっている。自分の人生を取り戻した彼は、これから主役として歩み続ける。After本編こそ彼の人生の真骨頂というのが感傷的だ。読者の妄想の世界に委ねられている。


ラスボスが主人公

 レはホiワiイiテiィで明らかになってたけど、モ君側のそれも詳らかにされたのが100話というのが、本当に個人的に萌えるんですよ。同じことばかり言ってる気もするけれど。

 ラスボスが主人公で、かつ主人公のレとツに対する感情の本質の種明かしがされるのが100話なんですよ。本当にすごい。楽しい。

 舞台第三期のポスターで、モ君がラスボス感があふれてるけど、実際、ラスボスなのかもしれない。支部長もおかしみがあってかわいいけど、彼は舞台装置でしかないのかもしれない。

 爪第七支部編では、レがモ君に「逃げる」という選択肢を提示してあげることができた。「大人」として「子ども」を守ろうとした。これがなかったらモ君の顛末は違ってた。

 提示するチャンスがなくて暴走したのがまさに最終章。あのときのラスボスってモ君だ。


顔面ケーキの意味(第101話)

 リアルに考えるとみんなで用意したケーキを食べることなく(レも、みんなも)、断りなく師匠にぶつけるってどういうこと? テーブルに戻せばいいじゃん!なんで邪悪なことしてるの?

 わからない。あれはモ君なのに。

 レだけでなく、周囲にも過度の気遣いをしなくなったということなのかなぁとも思う。いずれにしろ、99話までのモ君とは別人なんだよね。統合して。

 そしてその全容が描かれないで終わった…。

 主人公はラスボスにして曖昧模糊な存在のまま退場した。

 凄い。


 あの世界のラスボスはもう一人の「僕」だったので、ラスボスを鎮めた以上、あれ以上の強敵は現れない。強敵が現れても、常時100%のモ君が制圧してしまうのだろう。でも、モ君のアキレス腱は、あのゼロ能力者のレなのだろう。霊能事務所なんてやめた方がモ君も、周囲も、安心だろうけど、レはやめないだろう。それで、しょうもない呪いをうけたり、悪霊に憑りつかれて、エクに食べてもらったり、芹沢に除去してもらうのだろう。



レの主役の物語

 モ君とレの二人がダブル主人公と解釈しているのだけれど、本編はモ君の物語だった。一方、もう一人の主人公たるレの為に用意された舞台がRE131。1冊で完結したけれど、ラストはまさにレが彼の人生の主役を生きていることがみてとれる、幸せな顛末だ。

 モ君もレも人生の主役ではなかったけれど、それぞれ人生の主役になったということなのかもしれない……。


レが「大嫌いな自分」を好きになれたのか

 レが「大嫌いな自分」を好きになれたのか、受け入れることができたのかは、描かれなかったけれど。

 そもそもレが何をもって嫌いなのか、明確に言語化はされていない。しかし、100話の描写から想像するに、おそらく、「依存性」が強いということが一つあると思う。タバコの吸い殻の山がそれを暗喩する。本編ではまさにモ君に依存していたとも解釈し得る。何者かになりたいという夢をモ君を通じて達成しようとしていたわけで、レはモ君を尊重していなかった。勿論大事にしていたけれど。

 個人的にはレもモ君もお互い様だと思っていて、相互に利用し、依存していた。だから歪だけれどとても距離の近い関係性だった。読者としてはまさにそこにエモさを感じるのだけれど、持続可能な関係性の為には一旦別れて再構築するしかなかったとも思う。


モ君=主人公=ラスボス

※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。 ※ 一個人の感想・考察です。 ※ 原作師弟の関係は、あくまで「師弟愛」であり、「恋愛」ではないという大前提です(そういうジャンルの漫画ではないので)。